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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)383号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金二四七五万八〇六三円及びこれに対する昭和五七年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨

第二  当事者双方の主張

一  請求原因

1  原告は、埼玉県本庄市にA病院を開設し、保険医療機関の指定を受け、診療に従事している保険医である。

被告は、健康保険法、国民健康保険法に基づき、保険医療機関に対する監督権限を有するものである。

2  被告の生活福祉部国民保険課課長小倉孝行(以下「小倉課長」という。)、同保険課課長諸岡武雄(以下「諸岡課長」という。)及び右各課の職員ら(以下右全員を「被告職員ら」という。)は、昭和五六年一月二〇日あるいはそれ以前、新聞記者に対し、A病院が、原告の指揮により、病院職員らの家族などの健康保険証番号を調べた上、手当たり次第に架空診療の報酬を請求し(以下「架空請求」という。)、また出張診療、無診察投薬、無資格診療などの不正行為をしているなどと虚偽の情報を提供し、その結果、昭和五六年一月二一日付けの東京新聞、毎日新聞は、次のような記事を掲載した。

(一) 東京新聞

「院長が架空請求を指揮」「デタラメ出張診療も」との見出しのもとに、「病院院長が陣頭指揮にたって医療保険の架空請求をしていたという事件が明るみに出た。同県生活福祉部は同日関係者から事情聴取を始めたが、犯行の手口は、病院職員らの身寄りの健康保険証番号を調べ、手当たり次第に架空請求するあくどさ。」「甲野院長は、「出張診療をやめさせられたので、毎月二百万円の収入減となった。このままでは経営が困難だ。職員の協力を御願いする」と訓示」「同病院関係のレセプト約二千枚などを調査、保険証番号を勝手に使われたと思われる人たちからの事情聴取した結果、二十日までに医療保険の架空請求の実態が明らかになった。」「また、保険の不正請求とは別に出張診療では、医師の立ち会いなしに看護婦や事務職員にビタミン注射や鎮痛剤の投薬をさせた疑いも出ており、この面でも甲野院長らを医師法、保健婦・助産婦・看護婦法違反の疑いで追及する。」など。

(二) 毎日新聞

「医師でない職員が診療行為?」との見出しのもとに、「本庄市のA病院-甲野太郎院長(四九)がもぐりの出張診療を行い保険の不正請求をしていたことが二十日明るみに出た。」「県生活福祉部の調べによると、同病院に対する社会保険診療の支払額は、五十四年が六千三百五十万余円、一か月平均五百二十九万余円。最も多い月は約七百万円、少ない月でも四百六十万円台だった。これに国民健康保険の取り扱い分や、正常出産など保険対象外の収入を加えると、中クラス以上の収入状況といえる。ところが、県が出張診療を中止させた昨年二月以降同病院の社会保険収入はガクンと減り、同月には四百万円以下となった。このことから同部は「出張診療が同病院の有力な収入源だった」とみており、今後の監査によって不正請求の金額がはっきりした段階で、同病院に対し、過払い返還命令を出す。また、埼玉地方社会保険医療協議会に諮って同病院の処分を決めることにしている。」など。

3  被告ら職員は、昭和五六年一月二一日、記者会見を行い、出席した朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞、埼玉新聞の記者に対し、前項と同様の情報を提供した。

その結果、昭和五六年一月二二日付けの毎日新聞、読売新聞、埼玉新聞は次のような記事を掲載した。

(一) 毎日新聞

「A病院・出張診療の不正請求は三〇件」「架空のカルテも……」「職員や親類名で」「院長指示?」との見出しのもとに、「県生活福祉部の保険、国民健康保険両課は二十一日、出張診療による不正と、職員の身内の名前を使った架空のカルテによる保険の架空請求は、同日までの調査でそれぞれ三十件から数十件に上っていることを明らかにした」「国民健康保険課は「A病院の場合は全くの架空診療・架空請求であり、富士見病院より悪質」と言っている。」「このほか、会社従業員からの聞き取り調査では、出張診療には看護婦のほか、白衣姿の病院職員が同行、この職員がしばしば問診したり薬を投与していたという。中には「医師でなく、事務職員だった」とはっきり証言している人もいる。医師の資格がなく医療行為をすれば、明らかに医師法や保健婦助産婦看護婦法違反となり、同部はこの面でも衛生部と連携し、事実を明らかにさせたいとしている。」など。

(二) 読売新聞

「架空診療で保険料請求」との見出しのもとに、「A病院が(中略)病院関係者の保険証番号をつかった架空の保険診療報酬請求をしていた疑いが強くなり、県生活福祉部は(中略)立ち入り検査する。」「二十一日までの患者及びレセプト調査の結果ほぼ事実が確認されており、保険医療機関、保険医指定の取消しを含む処分対象になることは間違いない。」「県生活福祉部の調査によると、A病院は昨年二月中旬、「違法な出張診療をやっている」という同病院事務職員の内部通報で、本庄保健所が病院に対し是正を求めた。同病院ではそれまで、病院内での一般診療のほか、本庄市内の数か所の事業所へ甲野院長をはじめ三人の医師が交代で出向き、会議室や食堂などでいわば出張診療していた。保険法では、個々に求められて出向く診療とは異なり、医師の方から不特定多数の人を対象に、保険医療機関に指定された場所以外へ出張診療した場合は、正規の保険診療とみなされないことになっており、出張診療分の保険報酬は、形式的ながら不正請求になる。保健所からの注意で、同病院では、二月から出張診療を取りやめた。ところが、同部ではこのほど過去二年分の同病院の保険診療収入を調べたところ、出張診療をやめた五十五年二月分が四百万円に落ち込んだ以外、前後の月はすべて六-五百万円の保険収入。そこで、再度、さきの職員からの情報をもとにレセプト、患者調査をした結果、これまでにわかっただけで、病院関係者、元患者約三十人の名前をつかった架空診療による不正請求や水増し請求があることがわかった。」など。

(三) 埼玉新聞

「大がかりな架空請求明るみ本庄A病院」という見出しのもとに、「不正のもうけの穴埋めにと従業員や親類、出入り商人など片っ端しから保険証の番号を教えさせ、診療もせずに保険料を請求していることが発覚、事態を重視した県生活福祉部はあす二十三日この病院を立ち入り監査する。同部によると不正の件数は数十件、数千万円にのぼりそうだ。」「同部のこれまでの内偵によると同病院は昨年一月まで、同市内の食品製造事業所など判明しているだけでも三つの事業所に対し、診療施設がないにもかかわらず、保険法で禁止されている「出張診療」を続け、不当に保険料を請求していた、この事実は、同病院関係者の内部告発で明らかになり、昨年二月県本庄保健所が病院側責任者を呼び、直ちに「出張診療」を中止するよう命令した。」「内部告発を受け、同部が同病院からレセプト(診療報酬請求明細書)の提示を求め、保険料の月別算出をしたところ、「出張診療」の中止命令を受けた翌月の二月だけ保険請求額が激減、三月からまた元にもどっていることが明らかになった。さらに、レセプトから抽出した〔灰色〕請求から約三十人分の不正請求が浮かび上がり、同病院の不正請求事件に対する容疑がほぼ固まった。同病院がいつごろから、どれくらいの規模で不正請求していたかは、二十三日午後一時半から行われる立ち入り監査の結果を見なければならないが、同部では「他に例をみない悪質なものであり徹底的に調査する」と厳しい姿勢をみせている」など。

4(一)  前掲の各新聞報道に係る事実は、いずれも原告の名誉及び信用を毀損するものであるから、このような事実を新聞記者に公表した被告職員らの行為は違法である。

(二)  仮に、原告に不正事実の疑いがあり、これを公表することが許されるとしても、被告は保険医療機関を監督する立場にあり、その発言の影響力が極めて大きいこと及び右疑いに係る事実が新聞に報道された場合に原告が被る損害が甚大であることなどにかんがみると、被告職員らとしては、右疑いに係る事実につき監査を実施し、原告の弁解を聴取した後に公表すべきであった。

しかるに、被告職員らは、原告に対する監査実施前に前記事実を公表したものであり、被告職員らの行為は違法である。

(三)  また、前記新聞報道に係る事実は、いずれも被告職員らが職務上知り得た秘密であるから、これを公表することは地方公務員法三四条の守秘義務に反し、違法である。

5(一)  原告は、被告職員らの前記不法行為により著しい精神的苦痛を受け、これに対する慰謝料は三〇〇万円を下らない。

(二)  また、被告の右違法行為の結果、原告の経営するA病院の患者が減少し、原告は、昭和五六年二月から五月までの間に次のとおり二一七五万八〇六三円の損害を被った。

すなわち、昭和五六年における患者一人当たりの平均診療報酬を昭和五三年から昭和五五年までの各二月から五月までの平均患者数に乗じ、これから昭和五六年二月から五月までの現実の収入を差し引くと二一七五万八〇六三円となり、これが昭和五六年二月から五月までの間に原告が被った損害額である。

仮に、右減収による損害が認められないとしても、右金額を慰謝料として請求する。

6  よって、原告は被告に対し、金二四七五万八〇六三円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和五七年四月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち、被告の職員が昭和五六年一月二〇日A病院の監査に関し新聞記者の取材に応じ、監査の理由として出張診療、無診察投薬、架空請求などの不正の疑いがあることを説明したこと及び昭和五六年一月二一日付け東京新聞及び毎日新聞に原告主張のような記事が掲載されたことは認めるが、その余は争う。

3  同3のうち、被告の職員が昭和五六年一月二一日新聞記者に対し、同月二〇日と同様の説明をしたこと及び昭和五六年一月二二日付け毎日新聞、読売新聞、埼玉新聞に原告主張のような記事が掲載されたことは認めるが、その余は争う。

4(一)  同4(一)は争う。

新聞社が被告職員らからの情報提供を基にどのように新聞報道するかは、新聞編集者の権限と責任に委ねられている。

(二)  同4(二)のうち、被告が保険医療機関を監督する立場にあること及び被告の職員が原告に対する監査実施前に原告の不正行為を発表したことは認めるが、その余は争う。

被告は、後記(抗弁)のとおり、監査実施前に原告の不正行為に関する資料を収集し、原告に不正行為があると信ずる相当の理由があった。したがって、原告の弁解を聞かずに原告の不正行為を発表したとしても違法ではない。

(三)  同4(三)は争う。

地方公務員法三四条の守秘義務は、地方公務員の地方公共団体に対する職務上の義務であり、私人に対する義務ではないから、右守秘義務に違反したとしても、私人との関係で違法となるものではない。

5  同5は否認する。

三  抗弁

1  被告職員らは、原告に対する監査の実施を察知した新聞記者から監査の理由について取材を受けたため、監査が社会保険医療担当者監査要綱に基づき適正に行われるものであることを明らかにし、監査制度についての一般の理解と協力を深めるなどの公益目的のため、監査の理由を説明したのであり、被告職員らの行為には違法性がない。

2  また、左記のとおり、原告が出張診療、無診察投薬、架空請求、無資格診療などの不正行為を行ったことは真実であり、少なくとも真実であると信じるについて相当な理由があった。

そして、被告職員らが右事実を新聞記者に発表したのは、一般の保険医療担当者に対し、右のような不正行為が行われないように警告し、適正な保険医療を実現するためであった。

したがって、被告職員らの行為には違法性がない。

(一) 出張診療

保険医療は、原則として、指定を受けた場所において行うこととされており、指定の場所以外で行う診療は、特定の患者の求めにより診療上必要がある場合に行う往診(保険医療機関及び保険医療養担当規則二〇条一号ハ)及び他の保険医療機関の保険医の求めに応じて行う対診(同規則一六条)以外の場合は、いわゆる出張診療(自由診療)となり、保険医療としては認められない。

しかるに、原告は、株式会社本庄食品、東鐘繊維工業株式会社、株式会社サンワから従業員の健康管理を依頼され、一か月に数回右各会社に赴いて診療し、これを保険診療として、その報酬を別紙一、二記載のとおり請求し、不正にこれを受領した。

なお、被告は、昭和五六年二月一三日の監査に先立って、原告が提出した診療報酬明細書に基づき患者の実態調査を行い、右事実を確認済みであった。

(二) 無診察投薬

保険医が自ら診察せずに行う投薬は保険診療としては認められない。

しかるに、原告は、無診察投薬を行った上、これを保険診療として、その報酬を別紙一、二記載のとおり請求し、不正にこれを受領した。

なお、被告は、昭和五六年二月一三日の監査に先立って、原告が提出した診療報酬明細書に基づき患者の実態調査を行い、右事実を確認済みであった。

(三) 架空請求

被告は、昭和五五年一二月四日、A病院の看護婦として勤務していた田中トミ子から、原告がファミリー協力と称してA病院の職員の家族、知人などの保険証番号を使ってカルテに架空の診療を記載し、これに基づき架空の診療報酬を請求していること及び同女も、その夫田中定水、娘婿田中弘、娘田中里恵の名前を使って架空請求に協力したことなどの申告を受けた。

そこで、被告職員が原告の診療報酬明細書を調査したところ、原告が田中弘分として一四件(昭和五三年二ないし八月、一一、一二月、昭和五四年二、三、五、六、七月)、田中里恵分として約一〇件、田中定水分として昭和五四年一月以降一一件の診療報酬を請求していたことが判明したので、昭和五五年一二月二四日、田中弘、同里恵から事情を聴取したところ、右両名ともA病院で受診したことがないと供述した。

また、被告職員が昭和五六年一月一四日田中トミ子から事情を聴取したところ、同人は田中定水がA病院で受診したことはないと供述した。

(四) 無資格診察

被告の職員が昭和五六年一月一六日及び一七日患者に対する実態調査を行ったところ、出牛みち子、須川深雪らが、出張診療の際、医師の資格を有しないA病院の職員から投薬、注射などを受けた旨の供述を得た。

四  抗弁に対する認否

抗弁12は否認する。

報道した事実が真実であるか、少なくとも真実であると信じるについて相当な理由があり、かつその報道が公益のためになされたときは、当該報道の違法性がないとの法理は、報道を使命とする報道機関のみに適用されるのであって、常に公益目的をもって行動している公務員の行為には適用されない。

なお、原告が被告主張の会社に赴いて診療をしたことはあるが、それは、特定の従業員から往診の依頼を受けて赴いた際、他の従業員からも診察の依頼を受けたので、患者の便宜のために診療を行ったものである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一  原告が埼玉県本庄市にA病院を開設し、保険医療機関の指定を受け、診療に従事している保険医であること及び被告が健康保険法、国民健康保険法に基づき保険医療機関に対する監督権限を有していることは当事者間に争いがない。

二  原告は、被告職員らが新聞記者に対し、A病院が原告の指揮により架空請求、出張診療、無診察投薬、無資格診療などの不正行為をしているなどの情報を提供したと主張するので、この点につき判断するに、被告の職員が、昭和五六年一月二〇日及び同月二一日、A病院に対する監査の実施について取材を求めた新聞記者に対し、出張診療、無診察投薬、架空請求などの不正行為の疑いによりA病院に対する監査を実施する旨を発表したこと及び原告主張の各新聞に原告主張のような各記事が掲載されたことはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実並びに〈証拠〉によれば、小倉課長が昭和五六年一月二〇日中日新聞社の上田記者に対し、調査の結果、A病院が架空請求、出張診療、無資格診療などの不正行為をしていること(その詳細は、概ね原告主張の昭和五六年一月二一日付け東京新聞に掲載されたとおり)が判明したので、同月二三日に同病院に対する立ち入り検査(監査)を行う旨を説明したこと、小倉課長及び諸岡課長が同月二一日毎日新聞、読売新聞、埼玉新聞などの各記者の取材に応じ、前記二一日付け東京新聞及び同日付け毎日新聞のA病院に関する記事が概ね事実であることを認めた上、架空請求、出張診療、無診察投薬などの疑い(その詳細は、後記の一部を除き概ね原告主張の同月二二日付け各新聞に掲載されたとおり)によりA病院に対する監査を実施する旨を発表したことが認められ、〈証拠〉中、右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、前記認定の各新聞記事の見出しあるいは記事本文の表現の一部には、読者の関心を惹くために新聞編集者独自のやや誇張した表現が存在すると考えられるものの、右各新聞に報道された架空請求、出張診療、無診察投薬、無資格診療などの基本的な事実は被告職員らの情報の提供に基づくものであると認められ、これらの事実の報道により原告の名誉、信用が毀損されたことは明らかである。

なお、被告は、新聞社が被告職員らから得た情報に基づいてどのような報道をするかは、新聞編集者の権限と責任に委ねられていると主張するが、被告職員らが新聞記者の取材に応じて情報提供をした以上、被告職員らは、情報提供に係る事実が報道されることを認識していたものというべきであり、被告職員らの情報提供と原告の名誉、信用の毀損との間に因果関係のあることは明らかである。

三  被告は、原告が架空請求、出張診療、無診察投薬、無資格診療などの不正行為を行っていたことは真実であり、あるいは少なくとも真実であると信じるについて相当な理由があり、右事実の発表は公益を図る目的でなされたのであるから、被告職員らの行為には違法性がないと主張するので、この点について検討する。

1  まず、原告は、被告の主張する右法理は報道機関のみに適用され、公務員の行為には適用されないと主張するので、この点につき判断する。

国民健康保険事業は国民全体を対象とするものであり(国民健康保険法五条ないし七条)、その運営は、被保険者の拠出する保険料と国民全体の税金によって賄われており(同法七六条、六九条、七〇条など)、その運営が適正かつ健全に行われなければならないことはいうまでもない(同法一条)。

そのため、被告は、国民健康保険事業の運営が健全に行われるように指導監督すべき責任を負っており(同法四条二項)、国民がこれに不断の関心を抱いていることは明らかである。

したがって、国民健康保険事業の運営に関し不正の事実が明るみに出、社会がこれに関心を抱いている場合には、監督官庁たる被告は必要に応じてこれらに関する情報を提供して保険医療機関の注意を促すとともに、一般の理解を得るべき責務を負っているというべきであり、その結果、特定の個人の名誉、信用が侵害されることがあるとしても、それは国民健康保険事業の健全な運営を図るという公益実現のためやむを得ないことである。

以上のような観点からすると、被告の主張する前記法理が公務員には適用されないという原告の主張は採用することができない。

2  そこで、原告に被告主張のような不正行為があったか否か、あるいは右不正行為があると信じるについて相当な理由があったか否かについて検討するに、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  本庄保健所計画課長武井保は、昭和五五年二月一日、A病院の元職員であった田中トミ子から、A病院が同病院の職員の家族などの保険証番号を使用して架空診療の報酬を請求している旨の通報を受け、このことを被告の生活福祉部保険課長に報告した。

(二)  被告生活福祉部保険課秋元晃及び同部国民健康保険課渡辺文雄らは、同年一二月四日、田中トミ子に対する事情聴取を行い、同人から、A病院の医師又は職員が株式会社本庄食品、東鐘繊維工業株式会社、株式会社サンワなどの事業所に赴いて出張診療をしていること、その際、医師の資格を有しない者が注射や投薬をしたこと、原告がA病院の職員に対し、家族などの保険証番号を使用して架空請求をすること(いわゆるファミリー協力)を慫慂し、田中トミ子も田中定水(夫)、田中里恵(娘)、田中弘(娘婿)、田中剛及び田中智(いずれも孫)などの名前を使用して架空請求に協力したことなどの事実を聴取した。

(三)  そこで、被告生活福祉部職員がA病院から提出された診療報酬明細書を調査したところ、A病院が昭和五四年中に、田中定水に係る診療報酬明細書を一一通(昭和五四年一ないし六月、八ないし一二月分)、田中弘に係るものを一四通(昭和五三年二ないし八月、一一、一二月分、昭和五四年二、三、五、六、七月分)、田中里恵に係るものを四通(昭和五四年五、六、七、九月分)、田中剛に係るものを一通(昭和五四年九月分)、田中智に係るものを五通(昭和五四年三、五、六、七、九月分)を提出していることが判明した。

(四)  被告生活福祉部保険課米田庄次、同福田栄一は、昭和五五年一二月二四日、田中弘、田中里恵に対し、事情聴取を行ったところ、田中弘は、A病院において診療を受けたことはなく、病気のときは、同人の住宅地(深谷市上野台)にある桜ヶ丘病院で受診している旨を供述し、田中里恵は、剛と智についてはそれぞれ一回受診したことを認めたが、里恵本人が受診したことは否定した。

また、田中弘の勤務先(東京芝浦電機株式会社那須工場)のタイムカードを調査したところ、田中弘は、A病院の診療報酬明細書に受診日と記載されている日には右工場に出勤していることが判明した。

(五)  被告生活福祉部国民健康保険課渡辺文雄は、昭和五六年一月一四日、田中トミ子に対し、事情聴取を行ったところ、田中定水がA病院において受診したことはなく、投薬したとされている薬剤の中には受け取っていないものもある旨供述した。

(六)  被告生活福祉部保険課福田栄一は、昭和五六年一月一六、一七日、東鐘繊維工業株式会社の従業員に対し事情聴取を行ったところ、出牛みち子、須川深雪が、A病院の出張診療の際には、医師が来ないで、A病院の事務員に診てもらったことがある旨供述した。

(七)  被告生活福祉部職員は、原告に対する監査実施前に、別紙一、二の一覧表に出張診療、無診察投薬と記載されている事実につき、患者に対する事情聴取、その他の調査を行った結果、右各一覧表記載の出張診療、無診察投薬の各事実を確認することができた(〈証拠〉によれば、原告は、監査の際、右出張診療、無診察投薬の事実をほぼ認めており、また、〈証拠〉によれば、東京高等裁判所昭和六二年(ネ)第一四六八号診療報酬請求控訴事件判決(原審浦和地方裁判所昭和五七年(ワ)第三八四号)によって、別紙一の一覧表のうち、昭和五四年六月の今井文江及び境野ミチ子分を除く出張診療及び無診察投薬の事実が確定しており、さらに、浦和地方裁判所昭和五七年(ワ)第三八二号診療報酬等請求事件判決によって、別紙二の一覧表のうち、昭和五四年一〇月の針谷亜矢子分を除く出張診療及び無診察投薬の事実が確定したことは当裁判所に顕著な事実である。)。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告が田中弘、田中里恵の名前を使用して架空請求をしたこと、別紙一、二記載の出張診療及び無診察投薬(ただし、昭和五四年六月の今井文江及び境野ミチ子分、同年一〇月の針谷亜矢子分を除く。)をしたこと及び出張診療のなかには、一部に無資格者によるものがあったことはいずれも真実であると認められ、また、右認定事実並びに〈証拠〉によれば、出張診療、無診察投薬とされた分の一部には架空診療と疑われるようなもの(根岸志津江、阪上礼一分)も存在していたことが認められ、これらの事実にかんがみると、被告職員らが田中弘、田中里恵に係る架空請求を含め三〇件あるいはそれを上回る架空請求の疑いがあると信じたことについては相当な理由があるというべきである。

なお、〈証拠〉によれば、埼玉県知事が原告に対して行った戒告処分の通知書には、戒告の理由として、原告が出張診療、無診察投薬等について診療報酬を請求したことのみが記載され、架空請求、無資格診療の事実が明示されていないことが認められるが、〈証拠〉によれば、それは、原告の弁解を聞き入れ慎重な処分をした結果に過ぎず(〈証拠〉の社会保険医療担当者監査要綱によれば、架空請求の場合には、「指定取消」という重い処分とならざるを得ないところから、被告は慎重な判断をしたものと考えられる。)、〈証拠〉の前記記載をもって、前記架空請求が存在しなかったものと認めることはできない。

もっとも、前記各新聞の架空請求に関する記事には、やや誇張された表現が存在するが(昭和五六年一月二一日付け東京新聞は「手当たり次第に架空請求するあくどさ」、同月二二日付け埼玉新聞は「大がかりな架空請求明るみ本庄A病院」という見出しのもとに、「従業員や親類、出入り商人など片っ端しから保険証の番号を教えさせ、診療もせずに保険料を請求していることが発覚、事態を重視した県生活福祉部はあす二十三日この病院を立ち入り監査する。同部によると不正の件数は数十件、数千万円にのぼりそうだ。」などと報道している。)、〈証拠〉に照らすと、被告職員らが架空請求の金額が数千万円であると言ったとは認められず(〈証拠〉によれば、三〇件ないし数十件程度の診療報酬額は数万円ないし数十万円の程度に過ぎず、被告職員らが数千万円などという見当はずれの金額を口にしたとは考えられない。)、また「手当たり次第」、「大がかりな」、「片っ端から」などの表現も被告職員らの言葉であるのか、新聞記事上の表現であるのかにわかに断定しがたい。

以上によれば、原告が経営するA病院に架空請求、出張診療、無診察投薬、無資格診療などの不正行為があったことは真実であるところ、〈証拠〉によれば、当時、埼玉県下で起きた、いわゆる富士見産婦人科病院事件が社会の耳目をひき、保険医療機関のあり方に対する社会の関心が高まっていたところ、中日新聞社の上田記者がたまたまA病院に対する監査が行われるとの情報を察知し、これに関し、被告職員らに取材を申し入れたため、被告職員らは、調査の結果判明していた事実を必要な限度で明らかにしたものであり、これが昭和五六年一月二一日付け東京新聞に報道されるや、他の新聞社からも取材を申し込まれたため、A病院に対する監査理由を説明したのであって、このことは、保険医療機関に対して指導監督の責務を負っている被告が、国民健康保険事業に対する一般社会の疑念に対応するため、その指導監督の状況を明らかにし、ひいては国民健康保険事業の健全な運営を図ったものと認めることができるので、被告職員らの前記行為を違法なものということはできない。

四  原告は、仮に前記不正事実を公表することが許されるとしても、右事実につき原告の弁解を聴取する前に公表することは違法であると主張するが、前記不正事実の公表は、前記のように公益を図るために行われたものであり、被告において相当な調査を遂げ、不正事実が存在すると信じるに足りる相当な理由があったのであるから、原告の弁解を聴取する前に右事実を公表したとしても、これをもってあながち違法ということはできない。

また、原告は、前記不正事実を公表することは地方公務員法三四条の守秘義務に反し、違法であると主張するが、地方公務員法三四条の守秘義務は、地方公務員の地方公共団体に対する職務上の義務であり、私人に対する義務ではないから、右守秘義務に違反したとしても、それだけで直ちに私人たる原告との関係で違法となるものではない。

五  以上により、被告職員らについて不法行為の事実を認めることができないので、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

よって、原告の本件請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋 正 裁判官 鈴木航兒 裁判官 合田智子)

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